ブログ 2011 09 07~10 戸梶家 北京旅行

 会社の勤続30年の記念に、海外旅行をプレゼントしていただきました。お休みも5日ももらえます。いい会社ですね (´0ノ`*)オーホッホッホ!!

 で、色々考えて中国は広島・・・ではなくて北京に行ってまいりました。 まあ近いということもあり、私は中国の歴史についてちょっとうるさい方ですので喜び勇んで行ってまいりました。

 とはいえ、尖閣諸島の問題等もあり、いろいろ複雑な要素がある、腹立たしい国でもあります。

 以下、日記的に記録を残しておこうと思った次第であります。

2011 09 07 関西空港

左上 空港バスで関西国際空港へ~。で、乗った飛行機・・・・。ちょっと小ぶりのANA 北京と日本は時差が1時間。4時間ほど乗りました。

右上 途中の岡山県あたりの上空。関空からは左45度くらいの位置にあります。

左 飛行機を降りたらガイドさんが待っていてくれました。

 車も我々の家族専用に1台準備いただいて早速頤和園

頤和園(いわえん)

1884年から1895年光緒9年から10年)にかけて西太后の隠居後の居所とすべく光緒帝の名により清漪園の再建が命令された。しかし経費の問題より修復は前山建築群に限定されたが、その造営は日本と軍事的緊張が高まり軍備増強の歳出を必要とする清朝には大きな負担となったが、北洋艦隊を整備する海軍予算を再建費に流用していたことで日清戦争敗北の原因の一つとなったと言われる程、国庫を圧迫するものであったが、庭園は再建され頤和園と改称、離宮とされた西太后の避暑地に利用された。1900年(光緒26年)、義和団の乱を鎮圧すべく出兵した八ヶ国連合軍の一部により破壊を受けたが、1902年(光緒28年)に修復されている。

左 後ろの動物は竜ではなくて麒麟です。

右 世界で一番長い廊下です。

北京の交通事情・・・結構大変です。(^▽^;)

向こう側に見えるバスは2台が連結してます。
向こう側に見えるバスは2台が連結してます。

 北京で一番驚いたのは、交通マナーです。日本人だけで道路を横断するのは恐ろしいです。信号はあまり守られません。人も車も・・・。

 旅行中 4回交通事故を見ました。そのうち2回は日本と変わらない感じで警官が聴取してましたが・・・。1回は高速道路で大型トラックが横転。大きな鉄製の看板がその車体に食い込みV字型に車がへしゃげてました。

 もう1回は目の前で起こりました。結構早い速度で車が走っているのですが、道路を若い兄ちゃんが無理やり横切ろうとして前の車にはねられました。

 ポンと体が宙に浮いてそのまま反対車線に転がりましたが、反対車線を走って来た大型バスに危うく轢かれそうになりました。(車線を隔てているのは写真のような鉄製の柵です)あと20cmで大変な事故になっていたと思います。しかし、驚くのはここからです。

 運転していた車とやりあってましたが、結局はねた車はそのまま走り去りました。はねられた兄ちゃんも友人らに「おまえどんくさいわ~」と言われていたような感じで頭を掻いてました。日本だとかなりの慰謝料を請求できたとは思いますが・・・。そんなせこいことは考えないおおらかな人達です。

 右の車の写真、どこが変だかわかりますか? (T▽T)アハハ! ナンバープレートが付いてないですよね。ヾ(´ε`*)ゝこれ公道を走っているところですよ。

 北京では車の量が半端なく多くなったのですざまじい交通渋滞なのです。

 で、間引きするため、ナンバーの一桁目の番号のうち指定された2つの番号を付けている車は、その日は走行してはいけないとしているのです。で、この車はそれを避けるためにプレートを外してわからないようにしているのです。ってなんやそれ?ってかんじでしょう? 時々、わからないようにナンバーをさかさまに付けている車もあるそうです。(´0ノ`*)

 なお、走ってはいけないナンバーの車が警察につかまっているのを何度か見ました。 あと、標識に漢字で、多分「死にたくなければ 車に注意しろ」というようなものもありましたよ。凄いセンスやね(*´∇`*)

京劇観覧 面白いです!

覇王別姫:項羽と虞妃との最期の別れを演じた物。写真をクリックしてください
覇王別姫:項羽と虞妃との最期の別れを演じた物。写真をクリックしてください

虞美人です。

剣の舞はすごい迫力!

京劇(きょうげき、ピンイン:Jīng jù ジンジュウ)とは中国の伝統的な古典演劇である戯曲歌劇の一種のこと)の1つである。 代に安徽省で発祥し北京を中心に発展したのでの名が付き、主に北京と上海の二流派がある。

 暗闇の中を二人の英雄が対決する話はアクションがすごい!  ジャッキーチェンの殺陣はここからきているというのがよくわかります。また、かなりユーモラスでドリフターズの寸劇もこれをパクっているというのが私の感想です。

左下 お茶を頂きながら観劇するのですが、お茶の淹れ方が凄いです。

右下 ヘッドホーンで通訳してくれます。これがあったから芝居の意味が良くわかりました。

2011 09 08 万里の長城

 二日目はお待ちかね万里の長城です。北京から八達嶺まで、大変な交通渋滞に巻き込まれながら1時間半ほどで着きました。高速道路で行くことができます。

万里の長城(ばんりのちょうじょう、万里长城 ワンリー チャンチョン Wàn lǐ Chángchéng)は中華人民共和国にある城壁の遺跡である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)かつ新・世界七不思議。東端の遼寧省虎山から今まで東端とされていた河北省山海関に(以前はここから6,352kmとされていた)至り、西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8,851.8km

八達嶺長城(はったつれい)もっとも有名な見学地。ツアーのほか北京市内からの路線バスも頻繁にある。馬さんによるとこちらは交通渋滞が激しいので極力避けた方が良いとのことですよ。(^▽^;)

万里の長城は実はもの凄い急こう配なのです。左の写真のように階段で上ります。これ大変な作業でして、嫁はんははきそうになってました。写真右

その急斜面を多くの人がぞろぞろ上ります。左下 実はそこに行くまでにはゴンドラが運行してます。左上

右上 長城の急こう配がわかりますか?その下は断崖です。

右下 その長城の一番上で(壁の向こうは断崖絶壁)で中国の方はよじ登って記念写真を撮ります。右上の写真の右上の方にちょこっと出ぱった部分です。ええ大人が恥ずかしいですね。(T▽T)アハハ!日本人ではちょっと出来ないです。

明の十三陵

 十三陵は、成祖・永楽帝の長陵を中心として、その他12の陵墓が東西の両翼に点在している。陵墓の規模はそれぞれ異なり、その中からは主人の生存期の歴史的背景や暮らしぶり、性格などがうかがえる。

 長陵の主人は明代の全盛期をつくり上げた。その陵墓は、中でも最大規模である。「献陵」「景陵」の主人は、かつて朱棣とともに南征北戦をした子孫で、天下取りの苦労をじゅうぶんに味わっている。陵墓はわりと簡素である。

北京のお食事事情

旅行中の食事は当然すべて中華料理です。

・やたらと脂っこいです。

・とても食べ切れる量ではありません。

・時々、デザートのフルーツが一番先に出てきます。

・麺・・・これは・・・あまりにも失礼なことをいいそうなので、コメントは割愛です。日本のラーメンは旨い!

北京市内 

 北京の夕暮れです。ほとんどマンションですね。

 下の写真は王府井というショッピング街です。中国最初の国立百貨店です。雰囲気は歩行者天国の秋葉原という感じでしょうか・・・・。

王府井

 王府井(ワンフーチン)とは、北京中心部東城区にある繁華街。巨大デパートや飲食店が立ち並び一帯は歩行者天国になっている。

 市場(かつての東安市場、現在の新東安市場)、百貨店(北京百貨公司)、ホテル(北京飯店)、書店、飲食店などがこの通りに面して建ち、北京の町のほぼ中央にあり、故宮北京駅、外国人居留地区などからも近いところから、特に20世紀に入ってから商店街として賑わいだした。

鳥の巣(オリンピック競技場)

 2009 北京オリンピックの陸上競技会場となった鳥の巣です。正式名称が鳥の巣なのですね。 巨額の資金投資で作られた割に現在はほとんど使われてないようです。もったいない。

2011 09 08 天安門広場

 の成祖永楽帝が北京遷都した時期には天安門から南下し「大明門」(清朝では「大清門」、辛亥革命後に「中華門」と改名)に至る「千歩廊」と称される大通りと、現在の長安路に存在した「長安左門」と「長安右門」の間を結んだ丁字形の空間が存在し、天安門広場の原形が既に存在していた。

が建設された。

 天安門広場は最大で50万人を収容でき、国家行事や歴史上の大事件の舞台となってきた。そのため幾度となく革命運動の舞台にもなり抗争が起こってきた。

 

左上 故宮の売店・・・・凄い名前ですね。ええのんか?

右上 皇帝の通る道、竜の彫り物がされている立派なものです。皇帝は両側から人に担がれて空中を渡るため階段の替わりに彫り物がしてあるのです。ただ、ここは宮殿の裏なのですが、ものすごく立派につくられて(表よりも立派です)ます。最近の研究では、どうも、設計ミス・・・というより、運び込む時間、設置する場所を間違えて裏にしてしまったらしいとのことです。おおらかですね(T▽T)アハハ!

北京の下町 人力自転車での散歩です。

2011 09 09 景山公園

明・清代の皇帝の庭園となった山で、明代に紫禁城を作ったとき、元の宮殿であった延春閣の跡地に、堀を掘った時の残土で五つの峰を形成する形に作られた。

 現在は故宮博物院のすぐ北にある。東南の山麓には明のラストエンペラー崇禎帝が李自成軍に攻められたとき首吊り自殺をした槐の木がある。北側には清代の建物も残っている。土日や夕刻には地元の高齢者が多く集まり、民謡や歌謡曲を合唱することで知られている。地元の人のために入場定期券が発行されている。2001年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。

 上の記事のとおり歌を合唱されてました。ピアノやサックスなどのホーンセクションも入り黒山の人だかりでした。

 長い回廊が続きますが、両側でいろんなことで遊んでます。蹴鞠や将棋、トランプ、マージャンまでやってます。

 北京には日本のようにパチンコ屋はありませんでした。ばくちは禁止されているからです。

左上 景山公園の名物おじいさん。カメラに向かってパフォーマンスをしてくれました。いい笑顔ですね。(*´∇`*)

右上 シャンチー象棋、xiangqi)は、中国で盛んな将棋類であり、二人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。中国では国家の正式のスポーツ種目になっている。

 でかい盤です。